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これまでの嶋臺塾

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第40回 京都(みやこ)の井戸
第39回 京の景色を辿る
第38回 働く ということ
第37回 箸を渡す
第36回 京に構える
第35回 朽ちる美
第34回 京のたたずまい
第33回 何処に御座る
第32回 商うということ
第31回 住みこなす

 

第40回 京都(みやこ)の井戸

日  時: 平成30年3月27日(火)午後6時~8時
京大から:「足元の水の流れ」
      乾 徹 氏(京都大学大学院地球環境学堂 准教授)
洛中から:「京の名水と暮らし」
      鈴木 康久 氏(カッパ研究会 世話人)
司  会: 吉野 章(京都大学大学院地球環境学堂 准教授)
協  力: 嶋  臺 (しまだい)

 今回は,京都の井戸をテーマに,地球環境学堂からは土木工学の乾徹准教授に,洛中からはカッパ研究会の鈴木さんにお話しいただきました。
 乾さんからは,京都の足下を流れる水について解説してもらいました。京都盆地には,琵琶湖の水の7~8割ぐらいの水があって,それは均一に分布しているのではなく,基盤岩とその上に堆積している粘土や砂の層のあり様でだいぶ違うのだそうです。北の方の基盤は100~200メールぐらいの深さだそうですが,南の方は比叡山の高さと同じくらいの深さだそうです。そうした地形で京都の地下水の量も味も変わるし,逆に,地下水の動きで地盤沈下が起きるなど土地の姿も変わります。微妙なバランスで成り立っている京都の地下水ですから,それを守り利用する知恵を大事にしたいというお話でした。
 また,鈴木さんからは,京都の名水についてお話をいただきました。鈴木さんは,もともと京都府の職員さんでしたが,とにかく京都の井戸がお好きで,当時から多くの水にまつわる著書をものされてきました。「井は ほりかねの井 玉の井 はしり井は逢坂なるがをかしきなり」と『枕草子』にあるように,京都には平安の頃から名水と呼ばれる井戸がありました。名水が名水であるのは,必ずしも水質がよいというだけではなく,名所(などころ)であるとか,歌枕に使われるとか,由来であるとか,時代が下れば,茶の湯や染め物に使われたとか,あるいは薬効など,様々です。京都は昔から,水を特別のものとして扱ってきました。その価値観は,貨幣価値とか労働価値とは違い,宗教や道徳・倫理とも違う独特のものです。そうした京都の水との付き合い方,水に対する価値観を再確認して,次世代に受け継ぐ必要性を訴えられました。
 会場の方も,京都の水にはたいへんな関心があるようで,質問や意見が途絶えず,2時間という長さがとても短く感じた今回の嶋臺塾でした。

 

第39回 京の景色を辿る

日  時: 平成29年8月28日(月)午後6時~8時
京大から:「京の山辺」
      山口敬太 氏(工学研究科 准教授)
洛中から:「京の並木」
      片山博昭 氏(元・京都市緑政課長)
司  会: 深町加津枝(地球環境学堂 准教授)
協  力: 嶋  臺 (しまだい)

 暑い日が続きますが、京都の大路小路の木々の緑は、行き交う人に涼やかな陰を落としてくれています。皆さんは、京都の街路樹をしみじみ眺められたことはございますでしょうか。京大の近くでしたら、御影通の槐(えんじゅ)並木や白川通の欅(けやき)、加茂街道の緑のトンネルなどがあります。京都の街路樹は本当にきれいですね。嶋臺さんの前の御池通の街路樹も見事です。
 京都は、すばらしい庭園や建築が点在して、名所も多いですが、それだけでなく、街の景色そのものも美しいものがあります。東山の山影、鴨の流れ、大路小路の佇まい、等々。京都の景色の特徴はどんなものなのでしょうか、京都の景色が今のものとなったというのは、果たしてどういういきさつなのでしょうか。
 今回は、京都の景色の中でも山辺(やまのべ)と並木をとりあげました。山辺は、山と街との間にあって、生活と自然、生と死が交わる場所として、古来より京都独特の風情を作り上げてきました。工学研究科の山口敬太さんからは、平安から近世を経て今に至るこうした京都の山辺の景色が、地形や水の流れの利用といった観点から紐解いてもらいました。
 並木については、京都市で長年にわたり街路樹を手掛けてこられた片山博昭さんにお越しいただき、京都の道路の森づくりについてご紹介いただきました。片山さんは、日本造園修景協会という団体の京都支部長も務めておられ、「街路樹文化の創造」を掲げておられます。京都の街路樹の美しさは、もちろん、京都の景観行政の成果でもあるのでしょうが、門掃きをはじめとした京都のみなさんの日々の努力や美意識に支えられたものなのだそうです。日頃私たちが何気なく見ている街路樹がなぜ現在のようなものになったのかという経緯とともに片山さんを始め街路樹に関わる人たちの思い入れを強く感じた今回のお話でした。

 

第38回 働く ということ

日  時: 平成29年3月28日(火)午後6時~8時
島根から:「地域で働くということ」
      田中輝美 氏(ローカルジャーナリスト)
学堂から:「環境をテーマに働くということ」
      浅利美鈴(京都大学大学院地球環境学堂 准教授)
司  会: 吉野 章(京都大学大学院地球環境学堂 准教授)
協  力: 嶋  臺 (しまだい)

 第38回は、京都大学で環境活動を推進され、環境系就活イベントも行っておられる学堂の浅利美鈴さんとともに、島根県でローカルジャーナリストをされている田中輝美さんをお呼びして、「働くということ」をテーマで開催しました。
 田中さんは、もともと島根県出身ですが、一度は東京で働くことを目指されました。しかし、東京に住んでみると、東京から地域がほとんど見えないことに気づき、地元島根に帰り、島根のことを全国に発信する「フリージャーナリスト」として働くことを決意されました。新しいその働き方は、どの方向を目指せばよいのかわからない手探りから始まりましたが、ようやく見えてきた自分の立ち位置や思いについて語っていただきました。
 浅利さんによると、今の学生にとって環境という言葉に刺激がなくなってきており、環境系の就職への関心も低下しているそうで、それは、環境を、公害防止やエネルギー問題だけと狭く捉えている考えているだけでなく、若い人の就職に対する考え方の硬直性にも起因しているとのことであった。
 会場からは、田中さんの柔軟な発想と挑戦に感心しつつ、自身の生き方や社会を切り開く若い世代に期待が多く聞かれました。

 

第37回 箸を渡す

日  時: 平成29年2月23日(木)午後6時~8時
洛中から:「箸という木工品」
      北村隆充 氏(独立御箸師)
学堂から:「森がつなぐ炭素循環」
      檀浦正子(京都大学大学院地球環境学堂 助教)
司  会: 吉野 章(京都大学大学院地球環境学堂 准教授)
協  力: 嶋  臺 (しまだい)

 第37回は、「箸を渡す」と題し、箸と森の炭素循環について考えました。箸については、妙心寺の近くで箸屋さんを営んでおられる北村隆充さんにお越しいただき、いろいろな箸の紹介や箸にまつわるお話をしていただきました。箸は食と人とを結びつける役割を持ち、生活文化の要となります。細かく分業が行われている箸業界にあって、北村さんは、あえて材料から塗りまで一人で責任をもって利用する人に届けることを使命とされており、「独立御箸師」を名乗っておられます。そうした思いとともに、いろいろなの箸の紹介や箸使いの解説もあり、たいへんにぎやかな講演となりました。
 また、大気と大地の循環の要である森について、学堂の檀浦正子さんに、研究の新しいところをお話しいただきました。また、木材の成長や組成について、箸職人さんとは別の角度からの知識も提供いただき、話を深く理解することができました。

 

第36回 京に構える

日  時:   平成28年7月19日(火)午後6時~8時
洛中から: 「京で焼きものと生きる」
       ロバート・イエリン 氏(陶芸商)
霞が関から:「文化庁が京都で考えたいこと
       -日本の津々浦々を文化の力で元気に」
       下岡 有希子 氏(文化庁長官官房政策課課長補佐)
司  会:  平田 彩子(京都大学大学院 特定准教授)
協  力:  嶋  臺 (しまだい)

 今回は「京に構える」と題し、文化庁の京都市移転について取り上げました。三才学林長・藤井滋穂教授の挨拶の後、平田彩子特定准教授の司会により、まず洛中から、「京で焼きものと生きる」と題し、陶芸商のロバート・イエリン氏が紹介されました。陶芸商を約30 年間続けておられるイエリン氏は、ご自身が日本の焼きものに魅され日本に移り住み、現在京都で焼きものギャラリーを持つまでに至った経緯やご自身の日本文化の保全についての考えをお話頂きました。
 続いて文化庁長官官房政策課課長補佐の下岡有希子氏より、「文化庁が京都で考えたいこと –日本の津々浦々を文化の力で元気に–」として、文化庁の京都移転が決定したことを踏まえ、京都移転のメリット、文化庁にとって何を期待しているのか、文化行政の立場からのお話をして頂きました。
 嶋臺塾の魅力の一つは、話し手と聴衆の間の活発な質疑応答です。今回も、46 名の出席を頂きました。文化庁の今後の活動予定や、日本の伝統文化継承のあり方について多くの意見や質問がだされました。また、イエリン氏、下岡氏によるパネルディスカッションも行われ、日常的に我々が行っている生活での文化の力の重要性、そして焼きものといった日本の伝統文化を維持継承していくためには、職人を消費行動でサポートする重要性についても話し合われました。

 

第35回 朽ちる美

日  時: 平成28年3月7日(月)午後6時~8時
洛中から:「朽ちるを活かすデザインと暮らし」
      山本 剛史 氏(グラフィックデザイナー)
京大から:「土のつとめ」
      真常 仁志(地球環境学堂 准教授)
司  会: 深町加津枝(地球環境学堂 准教授)
協  力: 嶋  臺 (しまだい)

 第35回嶋臺塾は、「朽ちる美」と題し、グラフィックデザイナーの山本剛史さんと、学堂の真常仁志さんにお話しいただきました。地球環境にとって、「朽ちる」ということはとても大切なことです。何年たっても安定して存在し続ける物質は、 私たちの生活にとって便利かもしれませんが、それらが今の地球環境に多くの問題を引き起こしています。オゾンホールを拡大させたフロンガス、海洋中に漂うプラスティックごみなどなど。しかし、朽ちることの大切さを知り、どのように生活に取り入れていけばいいのか、お二人のお話を通じて考えました。
 山本さんは、ご結婚を機に、自分たちがどのような暮らしをしたいかと考え、京都北山の奥である京北町の古民家に移り住まれます。もともと、古伊万里など、使い込まれた古いものが好きだった山本さんは、自分たちのはどういう暮らしがしたいのか、暮らしの中に、昔の職人さんがつくった、日本のモノづくりの文化が生きているものを置きたい、そう考え、実践されます。10年放置されていた築104年の建物を、毎週、毎週、掃除し、手直ししながら、自分たちの住空間を創っていかれました。板間を漆拭きにしたり、薪ストーブを入れたり、それなりにモダンにしながらも、五右衛門風呂やお竃土さんはそのまま掃除して使い、畳や建具は取り壊される京町屋のものをもらい受けて、朽ちかけていた家が息を吹き返しました。それはそれは素敵な家で、今は登録文化財となっています。その間に、家に対する愛着も沸き、古い家のよさ、昔の人の知恵が実感されるようになりました。徐々に人も集まるようになり、土塀を版築にされたときは、2日ずつ4回の作業に、200名の人が集まりました。最近は、東寺の市などに若い人がたくさん来て、使い込まれた古いものを買っていくのだそうです。山本さんのような価値観を持ち、それを生活に取り入れる人も増えているのかもしれません。便利な家電製品に囲まれて、百円ショップで買ったものを使い捨てる生活は便利で安くあがるかもしれませんが、日本にはすごい職人技が生きた何年も何十年も使い続けられるものがあります。そうしたものに愛着をもってほしい、「いとおしい」という気持ちを思い出してほしい、たくさんでなくていい、一つでもそうしたものを暮らしの中に置いておいてほしいと訴えられました。
 真常さんからは、土壌の話しをお聞きしました。日本であれば、岩石や火山の噴火、中国から飛んできた黄砂などの上に葉っぱが落ちて、虫が食べ、糞をして、さらにそれを微生物が食べて黒い土をつくってきました。土は、植物の栄養を与えると同時に、微生物や胞子・菌糸と結びついて団粒をつくり、いい具合に空気と水を貯えます。そうした土に植物が育ち、動物が生きることができます。土にとって「朽ちる」ことは、終わりではなく、始まりです。人は土の上に生まれ、土に還る。文明も土の上に栄え、土の喪失で滅びてきました。真常さんは砂漠化のことを中心に研究されていて、アフリカのニジェールで、お砂漠の生態系にうまくあった作物増収の技術を開発されました。砂漠化を食い止めようと木を植えると、砂漠の水や土の循環を歪めるおそれがあります。真常さんらは、畑の一部分を休ませて、そこに生えた草で土壌を貯める方法を考えられました。畑を休ませても、それ以上に収穫が増える、お金も労力もかからない、環境にやさしい農法です。しかし、農民にはなかなか受け入れてもらえないのだそうです。変わったことをしたくないという保守的な心理もあるようですが、近代化への強いあこがれがあると言います。
 山本さんが紹介された暮らし方にある価値観は、すでにひととおり文明社会の豊かさを経験した人が、その先に求めるものです。しかし、物質的な豊かさにあこがれる人たちにが、環境と調和した伝統的な暮らしに価値を見出すことはなかなか難しいようです。そもそも先進国と呼ばれる国に暮らす私たちが、まだまだたくさんのモノと便利な暮らしを追い求めています。だからこそ、現代の先にある価値観と暮らし方をもう一度見直すべきなのだろうと改めて思った今回の嶋臺塾でした。(吉野 章)

 

第34回 京のたたずまい

日  時: 平成27年12月1日(火)午後6時~8時
洛中から:「先斗町らしさを求めて」
      植南 草一郎 氏(すきやきいろは 四代目)
京大から:「町並み能き様に仕るへく候」
      中嶋 節子 氏(人間・環境学研究科 教授)
司  会: 佐野 亘(地球環境学堂 教授)
協  力: 嶋  臺 (しまだい)

 今回は「京のたたずまい」と題し、京都の景観について考えました。最初にご登壇いただいたのは、京都先斗町に大正の頃から店を構えておられる「すきやきいろは」の四代目 楠南草一郎さんで、先斗町の景観づくりについてお話しいただきました。
 先斗町は、もともと花街として栄えたところでしたが、その景観をつくってきたお茶屋さんが減って、歩く人も景観も変わってきました。特にバブル期ごろから飲食店が増え始め、最近は、家族連れや外国人観光客が歩き、東京などからの出店も多いようです。そうした中、先斗町らしさが失われることを心配する声があがり、「先斗町まちづくり協議会」が発足しました。この協議会は、京都市の条例に基づいてつくられたもので、新たに出店してくる人と話し合って、先斗町らしさを損なわない店構えをお願いするのが本来の役割です。しかし、出店してくる人と先斗町の人とで「先斗町らしさ」について大分理解が異なる、先斗町の人の間でも多かれ少なかれ違う、、先斗町らしさとは何かについて改めて考えようということで、いろいろな活動が始まったのだそうです。
 植南さんは、先斗町での家業とは別に、建築家もやっておられ、大学でも教鞭をとっておられます。このため、協議会では「重宝される」そうで、まちづくりの中心となって活動されています。たとえば、昨年は、先斗町南北600メートルすべての建物の立体図や古地図、絵図を、近くの小学校旧校舎に展示されました。その展示会は、ただ見るだけではなくて、訪れた人が、語ってくれた思い出や誤記等の指摘を全部メモして地図に貼り付けていくなど、参加型の催しとなったのだそうです。さらに、そうした記録は、スマートフォンのアプリを使って、実際の景観と重ね合わせて表示できるようになっているそうです。
 古い記憶をよみがえらせながら、新しい技術も取り入れながら、次世代の「先斗町らしさ」を形作っていく。植南さんからは、そうした取り組みについてのお話しでした。
 次に、人間・環境学研究科の中嶋節子さんから京町家で形づくられる京都の景観についてお話がありました。町家が描かれた最古の絵画史料「年中行事絵巻」に始まり、さまざまな史料から、町家がどのように生まれ、どのように変遷してきたかを解説いただきました。
 そもそも、町家がどのように生まれてきたのかについては、諸説あるようで、大路の一部をを占拠したり、貴族の屋敷の塀や門にとりつく形でできたとか、長屋としてできた、あるいは一戸建てとしてできた等々、いろいろ言われているようです。しかし、最も古い史料に、通り庭や土座なども描かれており、建築様式としては、すでに平安末期に、今の町家と似た形態だったのだそうです。
 それが時代を経て、17世紀初頭、商人が非常に力を持っていた時期には、三階楼、二階蔵といった、豪華な町家も現れるわけですが、17世紀半ば以降には、地味になりし、その一方で洗練されていきました。その理由としては、その頃幕府が、庶民の建築に口出しし、規制するようになったことや、建築技術が発達したり、千本格子などの建具や畳、角材などの規格化が進んだというのもあるのですが、中嶋さんによると、それに「町(ちょう)並み」というのもあったと説かれます。
 当時は、「町」という強い自治組織ができた頃で、町式目とか町掟、町定めという成文化された町内の法律もできました。その中に、。家をつくるときは町の中で相談すべきだとか、「町並み能き様に仕るへく候こと」という約束もあったようです。すでに、当時の旅行記などを読むと、京都の景観が非常に整然とした町並みという記述もあるそうで、町(ちょうなみ)並みが町(まち)並みをつくったというお話でした。
 質疑では、先斗町の電柱・電線を地下に埋めるべきか、かつて、町の取り決めと幕府の指示とでどちらが優先されたのか、その中で、町の人が、何に怯え、何を守ろうとしていたのか、精神的な部分はどうなのかといった、かなり踏み込んだ質問も出され、活発な意見が交わされました。(吉野 章)

 

第33回 何処に御座る

日  時: 平成27年7月27日(月)午後6時~8時
挨  拶: 舟川晋也 (地球環境学堂 副学堂長)
洛中から:「京に畳を敷き繕う」
      磯垣 昇 氏(畳師)
学堂から:「藺草産地の経営史」
      吉野 章 (地球環境学堂 准教授)
協  力: 嶋 臺(しまだい)

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 日本の家と言えば「畳」。しかし、現在、畳部屋の無い家が増えてきています。畳の需要は、平成の間に3割程度にまで減ってしまいました。しかも、その減少に歯止めはかかっていません。このまま日本の住宅から畳は消え去るのでしょうか。
 今回は、畳師の磯垣昇さんにごご登壇いただき、畳の歴史、畳屋さんの技術、そして良い畳と悪い畳の違いなどについてお話いただきました。
現存する最古の畳は、正倉院にあるそうですが、その紹介から始まり、江戸時代の普及の様子、明治から始まる機械化の歴史と畳の変容についてご紹介ただきました。
現在の畳の土台には、発泡スチロールが入っています。それは、ワラの確保の問題だけでなく、調湿性のない現代家屋のつくりも関係していること、そして、ワラ床が使われなくなったことで、畳屋さんから、かつての技術がなくなってきているからとのこと。本当に高級な畳というのがどういうものかも教えてもらいました。それは床、裏付き、保持材などががしっかりしている、見えないところにお金がかかっている畳なのだそうです。文化財ですら発泡スチロールが使われたりする中、磯垣さんは、それをつくる技術の伝承にも力を入れられているとのことです。
 学堂からは、吉野章が畳表の原料となる藺草の話をしました。
藺草の産地と言えば、かつては備後表で有名な広島県、そして岡山県でした。それが、高度経済成長期に熊本県に移動し、藺草の一大産地が形成されます。藺草というのは、冬の厳寒期に植え付け、夏の一番暑い時期に収穫します。その作業は過酷で、泥染めと乾燥を行うので泥まみれです。広島・岡山の藺草農家が工場に吸収されていく中で、新興産地・熊本は、機械化と規模拡大を繰り返します。
しかし、平成に入ると、中国からの藺草や畳表の輸入が急増します。さらに畳の需要が減少することで、熊本でも藺草を生産する農家は激減していきました。
今回は、こうした藺草産地の移動や藺草農家の格闘の様子をたどりながら、戦後日本農業がたどってきた道のりや、私たちの畳に対する見方への影響についてお話ししました。
 会場との質疑では、磯垣さんにお持ちいただいた七島藺、高級品の備後表、有職畳など、めずらしいものを見せてもらいながら、京都の文化財やお寺での畳事情、泥染めをする理由、京間と関東間の違い、畳の硬さ、畳業界など、さまざまな話題が出ました。磯垣さんには、どの質問にも一生懸命答えていただき、最後に「どうぞ畳をよろしくお願いします」とおっしゃいました。畳のよさを知り、畳の変容を見てこられてた磯垣さんの畳に対する思いを感じた今回の嶋臺塾でした。(吉野 章)

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第32回 商うということ

日  時: 平成27年3月3日(火)午後6時~8時
洛中から:「祇園商店街に商う」
      三好 通弘 氏(祇園辻利 五代店主)
京大から:「近江八幡に商う」
      清水 夏樹(森里海連環学教育ユニット 特定准教授)
司  会: 籠谷 直人(地球環境学堂 教授)
協  力: 嶋臺(しまだい)

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 先端の地球環境学の成果の地域の生活ことばで練り直すことで、新たな美意識や生活作法をさぐることを目的として、毎年3回開催している嶋臺塾ですが、今回は第32回で、「商い」をテーマとして開催しました。
 洛中からは、祇園辻利の会長さんである三好道弘さんにお越しいただきました。 辻利さんは、辻利右衛門さんが玉露を完成させたことで有名です。三好さんは、戦中、台湾で商っておられ、戦後、引き上げてこられてから、現在の祇園のお店を開かれます。当時、花街であった祇園は、商店街としては賑わいに欠け、これを振興することから始めねばなりませんでした。1970年代 には、お茶の消費が清涼飲料水に押され、お茶自体の売り方も考えなければなり ませんでした。三好さんは、「茶寮 都路里」という甘味処を始められて、これが成功します。商工会議所の立場では、様々な反対に遭いながらも、祇園商店街のアーケード化、京阪電車の地下化に尽力されました。「お茶」そのものについて、戦中から戦後にかけての変遷の中で、お茶の商いをとおして感じられた人や 嗜好の変化、商いにおいて、それが置かれている場とともに賑わうことの大切さなどについてお話しいただきました。
 京大からは、学堂と関連の深い森里海連環学教育研究ユニットの清水夏樹さん にご登場いただきました。清水さんには、現在、このユニットが連携している近江八幡のお菓子屋さん「たねや」さんの取り組みをご紹介いただきます。たねやさんの商いも、自らのお店の繁盛のみを考えるのではなく、一店舗の枠を超えて、お店が置かれた場の振興を目指しておられます。そうした点では、三好さんのとりくみと共通していますが、こちらは商店街ではなく、近江八幡の地域や自然環境と共存・共栄を図る取り組みが中心となっています。環境と調和した地域づくりに、これからの商いのありかたを模索しておられるところだそうです。京大の森里海連環学とは何か、そのの立場から、こうした今時の商いをどのように評価できるのか、そしてどう協働できるのかについて解説をいただきました。
 学堂の籠谷さんの司会に、三好さんと清水さんという味わいのある組み合わせで行われた今回の嶋臺塾、当のたねやさんからの発言もあり、また、三好さんの人柄についてのエピソードを紹介される方もおられるなど、いつもとは少し違った雰囲気の中、終止和やかに、これまでとこれからのの商いについて語り合うことができました。

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第31回 住みこなす

日  時: 平成27年1月20日(火)午後6時~8時
学堂から:「草原と住まうーモンゴル・遊牧の民の現在」
      西前 出(地球環境学堂 准教授)
洛中から:「町と住まうー京都・堀川団地の今昔」
      大島 祥子 氏(町づくりコーディネータ)
ひとこと: 安枝 英俊 氏(兵庫県立大学 環境人間学部 准教授)
司  会: 小林 広英(地球環境学堂 准教授)
協  力: 嶋臺(しまだい)

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 第31回の嶋臺塾は、「住みこなす」と題して、学堂の西前出さんと、町づくりコーディネータの大島祥子さんにお話しいただきました。
 学堂からは西前さんに、モンゴルの住まい方についてお話しいただきました。日本の4倍の面積に京都府ぐらいの人口が住まうモンゴルですが、現在、その3分の1以上がウランバートルに集中しているのだそうです。モンゴルは、国土のおよそ8割が草原で、平均気温が0度を上回るのは5~9月のみで、自然の回復力がたいへん弱い地域です。それでも、モンゴルの人々は、遊牧をいう方法で草原とうまく暮らしてきました。1992年の民主化以降、モンゴルの試行錯誤が始まっています。それまで草原とのバランスで決まっていた家畜の種類が、カシミヤがとれて儲かるからという理由で草原への負荷が高い山羊に傾斜しつつあります。ウランバートルに定住する人も増え、周辺地域の過放牧問題、環境汚染、違法開発などの都市問題も増えています。遊牧に対する誇りと子供を大学にやりたい親としての気持ちの間を逡巡が、モンゴルの人々にも政府にもあるのだそうです。西前先生からは、そうしたモンゴルの現在を、美しいモンゴルの景色や暮らしぶりの写真を交えながら、軽妙な語り口でご紹介いただきました。
 洛中からは、町づくりにかかわっておられるスーク創生事務所の大島祥子さんに、京都の堀川団地についてお話しいただきました。堀川団地は、京都市街の堀川通り沿いにある、商店街を一階に置く、いわゆる「下駄履き住宅」です。公営住宅の「標準設計」が普及する以前の、1950年代の建物で、鉄骨づくりということもあり、風貌こそ違うのですが、空間の配置や内装や風通しへのこだわりなどは、京町家のそれを色濃くひきつぐものなのだそうです。
 堀川団地には、戦前そこにあった堀川京極の伝統が残り、そこに住む人も、内装を変えたり実家の住宅との使い分けをしながら、うまく「住みこなし」てこられたそうです。とはいえ、堀川団地も還暦を迎え、建物の老朽化は否めません。しかし、ここでも、安易に建てかえを行うのではなく、現在、再生が目指されています。そのような堀川団地に、現在若い人らが住みはじめました。彼らは、DIYで大胆な内装の変更などを行いながら、町に溶け込む暮らし方を志向しているのだそうです。
大島さんからは、こうした堀川団地のこれまでとこれから、京の町での暮らし方、京の町とのつきあい方についてお話しいただきました。
 最後に、兵庫県立大学の安枝英俊さんからは、生活に合わせて環境を変える住まいづくりではなく、環境に合わせて生活を変える知恵という点で、モンゴルも堀川団地も学ぶことができたとの感想をいただきました。

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